Latest Entries
(1F)木下晋展(鉛筆画)/(2F)溝口佐知子展 sachiko mizoguchi carnival(コラージュ)
1F【木下晋 展】(鉛筆画)
2022年1月25日(火)~2月6日(日) ※1/31(月)休廊
12:00~19:00(最終日~17:00)
木下 晋(Susumu KINOSHITA)
1947年 5人姉弟の次男として富山県に生まれる。3歳の時、家族の出火により他家にも類焼。富山市郊外にある呉羽山麓の竹林管理小屋へ移り住む。貧困に苦しむなか弟・三郎が餓死同然で死亡、母と兄は火事の後約 10年 間家出を繰り返し一家はほぼ離散状態となる。
1961年 14歳 富山市立西部中学2年の時、美術科のS教諭の紹介で富山大学教育学部で教鞭をとっていた彫刻家・大瀧直平による市民開放の研究室に入り、彫刻の指導をうける。
1963年 16歳 2月、とび職であった父が職場での事故で死亡。
4月、富山県立婦負農業高校(現・富山西高校)へ進学。昼は学校へ通い、夜は富山大学の大瀧研究室で彫刻の勉強を続ける。大瀧直平の紹介で木内 克から指導を受ける。
自宅では彫刻の制作が困難なため、絵画の制作を開始する。クレヨンを油彩代わりに使用して第一作《起つ》を描く。木内克の紹介で、洋画家・麻生三郎の指導を受けるため作品とともに上京し、麻生からのアドバイスを受けてその帰路に《起つ》を自由美術協会に出品、入選を果たす。
1964年 17歳 経済的な理由から高校2年で中退し、T宣伝社(看板製作)に住み込みで働き始める。
1965年 18歳 自由美術協会展に油彩画《カルタとり》が入選。
1967年 20歳 第3回主体美術協会展(東京都美術館)
1969年 22歳 8月、村松画廊での初個展で、評論家・瀧口修造と出会う。
1970年 23歳 この年、後に妻となる君子と知り合う。周囲の反対を押し切り、9月富山を離れ新潟に転居(~77年)。
1971年 24歳 富山から母を呼び寄せ3人の暮らしが始まる。日中はパン屋で働き、夜は妻をモデルに妊婦シリーズを描く。長女・麗子誕生。
1972年 25歳 櫟画廊の個展を訪れた麻生三郎から現代画廊主・洲之内徹を紹介される。
1973年 26歳 7月、初めての渡欧。約1ヶ月をかけてヨーロッパの美術館を巡り、レンブラント、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチの作品に深い感銘を受ける。
1975年 28歳 木下晋油絵展(現代画廊・東京)(’77・’79・’81・’83・’85)
1977年 30歳 新潟から東京へ移転する。
1980年 33歳 このころから手帳への記録を始める。
1981年 34歳 4月、油彩画作品を売り込みにニューヨークの画廊をまわるがうまくいかず、失意のうちに帰国。帰国後すぐに鉛筆を用いた作品に取りかかる。
5月、現代画廊の洲之内徹の計らいで新潟県出湯温泉の宿「石水亭」に招待される。その地において当時無形文化財の瞽女・小林ハルの公演を始めて聞き、衝撃を受ける。
1983年 36歳 2月14日、小林ハルをモデルに制作を開始する。
現代のリアリズム展(埼玉県立近代美術館)
1985年 38歳 ニューヨークで荒川修作を訪ねる。荒川のアドバイスにより、意識的に母をモデルにした作品を描き始める。
1986年 39歳 1月、母が散歩中の事故により死亡。
春、注連寺天井画のプロジェクトチーム ( 「七五三掛会」 )発足。
1987年 40歳 10月、現代画廊主・洲之内徹死亡。
1989年 42歳 9-11月、注連寺に籠もり、天井画本図を描き上げる。
洲之内コレクション展 気まぐれ美術館(宮城県美術館)
洲之内コレクション展(萬鉄五郎記念美術館・岩手)
1992年 45歳 9月、念願であったニューヨークでの個展が実現する。
1995年 48歳 戦後文化の軌跡1945-1995(目黒区美術館・東京、広島現 代美術館、兵庫県立近代美術館、福岡県立美術館)
1997年 50歳 木下晋 えんぴつの世界 1981~1997(池田20世紀美術 ・静岡)気まぐれ美術館̶―洲之内徹と日本の近代美術(目黒区美術館・東京、他)
1999年 52歳 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻非常勤講師(造形基 礎)となる(~2008)。
2001年 54歳 武蔵野美術大学造形学部油絵学科非常勤講師となる。
スタンダード展(直島コンテンボラリーアートミュージアム・香川)
2002年 55歳 木下晋 鉛筆画の世界展(信濃デッサン館槐多庵・長野)
2003年 56歳 木下晋 鉛筆の世界展(佐喜眞美術館・沖縄)
2004年 57歳 六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004(森美術館・ 東京)
2005年 58歳 4月 瞽女・小林ハル死去。 この年の秋、偶然の機会から元
ハンセン病の詩人桜井哲夫を訪ね、その後モデルを依頼する。
2009年 62歳 金沢美術工芸大学大学院博士課程専任教授となる。
美大アートワークス2009展(金沢21世紀美術館市民ギャラリーB・石川)
2010年 63歳 瀬戸内国際芸術祭2010(豊島・香川)
2011年 64歳 3月に起こった東日本大震災の被害を目の当たりにし、新た に「合掌図」の制作を行う。
12月、詩人元ハンセン病患者の桜井哲夫死去。
2012年 65歳 木下晋展 祈りの心(平塚市美術館・神奈川、砺波市美術館・ 富山、足利市立美術館・栃木)巡回
2016年 69歳 1月~3月、「エッケ・ホモ̶―現代の人間像を見よ̶―」(国立 国際美術館・大阪)
3月~6月、曹洞宗松久寺(鎌倉市)天井画「無」制作
2017年 70歳 1月~3月、「猫まみれ展」(川越市美術館)
4月~6月、「リアルのゆくえ展」(平塚市美術館 他三館巡回)
6月~8月、「ニッポンの写実そっくりの魔力展」(北海道立函館市美術館 他三館巡回)
8月~11月、「ヨコハマトリエンナーレ2017展」(横浜市美術館 日本代表作家)
7月~8月、「戦後日本文化発展の光と影展」(リアスアーク美術館(宮城県 気仙沼市))
2018年 71歳 2017年~2018年4月、「最後の最期展」(久万町美術館(愛媛県久万高原町))
7月~10月、「所蔵展」(国立国際美術館)
2019年 72歳 12月、『いのちを刻む―鉛筆画の鬼才、木下晋 自伝』編著者: 城島徹が藤原書店より刊行。
2021年 74歳 10月~、「上田薫とリアルな絵画展」(茨城県近代美術館)
2006年以来5度目の木下晋展を企画致しました。今展では、木下先生は主に妻君子さんをモデルにした作品を描いて下さっています。23歳の頃に周囲の反対を押し切って結婚。以来苦楽を共に生き抜いてこられた君子さんが病に倒れられてからは、木下先生の介護しつつ描く生活が続いています。見つめる目と、覚悟をもって見つめ返す目。いつも木下先生の作品に感じられる対象との緊張関係とともに、そこには深い愛が刻まれているように感じられます。
10Hから10Bの22段階の濃淡を駆使して描かれるモノクロームの奥深い世界をどうぞお楽しみ下さいませ。
ギャラリーヒルゲート
⚠夜話市民講座 〈対談〉木下晋×島敦彦 について⚠


2022年1月29日(土)に予定していました、木下晋先生と島敦彦先生の対談を、新型コロナウィルスの影響により中止することとなりました。
楽しみにして下さっていた皆様には大変申し訳ありませんが、何卒ご了承くださいますようお願いいたします。
木下晋先生の個展については、予定通り下記の日程で開催しておりますので、ぜひご高覧下さいませ。
1F【木下晋 展】(鉛筆画)
2022年1月25日(火)~2月6日(日) ※1/31(月)休廊
12:00~19:00(最終日~17:00)
(1F)木下晋展(鉛筆画)/(2F)安野光雅追悼展-託された絵の名残-
1F【木下晋 展】(鉛筆画)
2022年1月25日(火)~2月6日(日) ※1/31(月)休廊
12:00~19:00(最終日~17:00)
木下 晋(Susumu KINOSHITA)
1947年 5人姉弟の次男として富山県に生まれる。3歳の時、家族の出火により他家にも類焼。富山市郊外にある呉羽山麓の竹林管理小屋へ移り住む。貧困に苦しむなか弟・三郎が餓死同然で死亡、母と兄は火事の後約 10年 間家出を繰り返し一家はほぼ離散状態となる。
1961年 14歳 富山市立西部中学2年の時、美術科のS教諭の紹介で富山大学教育学部で教鞭をとっていた彫刻家・大瀧直平による市民開放の研究室に入り、彫刻の指導をうける。
1963年 16歳 2月、とび職であった父が職場での事故で死亡。
4月、富山県立婦負農業高校(現・富山西高校)へ進学。昼は学校へ通い、夜は富山大学の大瀧研究室で彫刻の勉強を続ける。大瀧直平の紹介で木内 克から指導を受ける。
自宅では彫刻の制作が困難なため、絵画の制作を開始する。クレヨンを油彩代わりに使用して第一作《起つ》を描く。木内克の紹介で、洋画家・麻生三郎の指導を受けるため作品とともに上京し、麻生からのアドバイスを受けてその帰路に《起つ》を自由美術協会に出品、入選を果たす。
1964年 17歳 経済的な理由から高校2年で中退し、T宣伝社(看板製作)に住み込みで働き始める。
1965年 18歳 自由美術協会展に油彩画《カルタとり》が入選。
1967年 20歳 第3回主体美術協会展(東京都美術館)
1969年 22歳 8月、村松画廊での初個展で、評論家・瀧口修造と出会う。
1970年 23歳 この年、後に妻となる君子と知り合う。周囲の反対を押し切り、9月富山を離れ新潟に転居(~77年)。
1971年 24歳 富山から母を呼び寄せ3人の暮らしが始まる。日中はパン屋で働き、夜は妻をモデルに妊婦シリーズを描く。長女・麗子誕生。
1972年 25歳 櫟画廊の個展を訪れた麻生三郎から現代画廊主・洲之内徹を紹介される。
1973年 26歳 7月、初めての渡欧。約1ヶ月をかけてヨーロッパの美術館を巡り、レンブラント、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチの作品に深い感銘を受ける。
1975年 28歳 木下晋油絵展(現代画廊・東京)(’77・’79・’81・’83・’85)
1977年 30歳 新潟から東京へ移転する。
1980年 33歳 このころから手帳への記録を始める。
1981年 34歳 4月、油彩画作品を売り込みにニューヨークの画廊をまわるがうまくいかず、失意のうちに帰国。帰国後すぐに鉛筆を用いた作品に取りかかる。
5月、現代画廊の洲之内徹の計らいで新潟県出湯温泉の宿「石水亭」に招待される。その地において当時無形文化財の瞽女・小林ハルの公演を始めて聞き、衝撃を受ける。
1983年 36歳 2月14日、小林ハルをモデルに制作を開始する。
現代のリアリズム展(埼玉県立近代美術館)
1985年 38歳 ニューヨークで荒川修作を訪ねる。荒川のアドバイスにより、意識的に母をモデルにした作品を描き始める。
1986年 39歳 1月、母が散歩中の事故により死亡。
春、注連寺天井画のプロジェクトチーム ( 「七五三掛会」 )発足。
1987年 40歳 10月、現代画廊主・洲之内徹死亡。
1989年 42歳 9-11月、注連寺に籠もり、天井画本図を描き上げる。
洲之内コレクション展 気まぐれ美術館(宮城県美術館)
洲之内コレクション展(萬鉄五郎記念美術館・岩手)
1992年 45歳 9月、念願であったニューヨークでの個展が実現する。
1995年 48歳 戦後文化の軌跡1945-1995(目黒区美術館・東京、広島現 代美術館、兵庫県立近代美術館、福岡県立美術館)
1997年 50歳 木下晋 えんぴつの世界 1981~1997(池田20世紀美術 ・静岡)気まぐれ美術館̶―洲之内徹と日本の近代美術(目黒区美術館・東京、他)
1999年 52歳 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻非常勤講師(造形基 礎)となる(~2008)。
2001年 54歳 武蔵野美術大学造形学部油絵学科非常勤講師となる。
スタンダード展(直島コンテンボラリーアートミュージアム・香川)
2002年 55歳 木下晋 鉛筆画の世界展(信濃デッサン館槐多庵・長野)
2003年 56歳 木下晋 鉛筆の世界展(佐喜眞美術館・沖縄)
2004年 57歳 六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004(森美術館・ 東京)
2005年 58歳 4月 瞽女・小林ハル死去。 この年の秋、偶然の機会から元
ハンセン病の詩人桜井哲夫を訪ね、その後モデルを依頼する。
2009年 62歳 金沢美術工芸大学大学院博士課程専任教授となる。
美大アートワークス2009展(金沢21世紀美術館市民ギャラリーB・石川)
2010年 63歳 瀬戸内国際芸術祭2010(豊島・香川)
2011年 64歳 3月に起こった東日本大震災の被害を目の当たりにし、新た に「合掌図」の制作を行う。
12月、詩人元ハンセン病患者の桜井哲夫死去。
2012年 65歳 木下晋展 祈りの心(平塚市美術館・神奈川、砺波市美術館・ 富山、足利市立美術館・栃木)巡回
2016年 69歳 1月~3月、「エッケ・ホモ̶―現代の人間像を見よ̶―」(国立 国際美術館・大阪)
3月~6月、曹洞宗松久寺(鎌倉市)天井画「無」制作
2017年 70歳 1月~3月、「猫まみれ展」(川越市美術館)
4月~6月、「リアルのゆくえ展」(平塚市美術館 他三館巡回)
6月~8月、「ニッポンの写実そっくりの魔力展」(北海道立函館市美術館 他三館巡回)
8月~11月、「ヨコハマトリエンナーレ2017展」(横浜市美術館 日本代表作家)
7月~8月、「戦後日本文化発展の光と影展」(リアスアーク美術館(宮城県 気仙沼市))
2018年 71歳 2017年~2018年4月、「最後の最期展」(久万町美術館(愛媛県久万高原町))
7月~10月、「所蔵展」(国立国際美術館)
2019年 72歳 12月、『いのちを刻む―鉛筆画の鬼才、木下晋 自伝』編著者: 城島徹が藤原書店より刊行。
2021年 74歳 10月~、「上田薫とリアルな絵画展」(茨城県近代美術館)
2006年以来5度目の木下晋展を企画致しました。今展では、木下先生は主に妻君子さんをモデルにした作品を描いて下さっています。23歳の頃に周囲の反対を押し切って結婚。以来苦楽を共に生き抜いてこられた君子さんが病に倒れられてからは、木下先生の介護しつつ描く生活が続いています。見つめる目と、覚悟をもって見つめ返す目。いつも木下先生の作品に感じられる対象との緊張関係とともに、そこには深い愛が刻まれているように感じられます。
10Hから10Bの22段階の濃淡を駆使して描かれるモノクロームの奥深い世界をどうぞお楽しみ下さいませ。 ギャラリーヒルゲート
2F【安野光雅追悼展-託された絵の名残-】
2022年1月25日(火)~1月30日(日)
12:00~19:00(最終日~17:00)
安野光雅(あんの みつまさ/1926~2020)
1926年3月20日 島根県津和野町に生まれる。生家は宿屋を営んでいた。
1945年4月 召集され、陸軍船舶兵として赴いた香川県で8月15日を迎える。
1947年 徳山市加見小学校(現周南市)に代用教員として務める。山口師範学校研究科修了。
1950年 美術教員として上京、玉川学園に勤める。その後、三鷹第五小学校、武蔵野第四小学校で美術教師。その頃、子どもたちへの美術教育に取り組み、「教育美術」等の雑誌に執筆したり、挿絵・装幀等の仕事も多く手がける。
1961年 出版社等の仕事が増え、明星高校を辞して画家として独立。
1968年 初めての絵本『ふしぎなえ』(福音館書店)出版。
その後、『さかさま』『ふしぎなさーかす』『ABCの本』『あいうえおの本』『旅の絵本(Ⅰ~Ⅸ)』『空想工房』『天動説の絵本』『きりがみいろはかるた』『算私語録』『蚤の市』『繪本平家物語』『繪本三国志』『口語訳即興詩人』『絵のある自伝』等々、膨大な数の絵本、画集、エッセイを著され、2020年『私捨悟入』(朝日新聞社刊)が生前最後の出版となった。
それらの本は海外でも多く出版され、1978年にはパリのポンピドゥーセンターに招かれて講演。
1974年芸術選奨文部大臣新人賞をはじめ、講談社出版文化賞、小学館絵画賞、最も美しい50冊の本賞(アメリカ)、ケイト・グリナウェイ賞特別賞(イギリス)、BIB金のリンゴ賞(チェコ)、ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞(イタリア)、国際アンデルセン賞、紫綬褒章、菊池寛賞、他受賞。2012年文化功労者。
2001年 故郷津和野に町立安野光雅美術館開館。
2017年 京丹後市の和久傳ノ森に「森の中の家 安野光雅館」開館。
2020年 12月24日 死去。
1995年以来6度の個展と旧友渡辺恂三先生との二人展を一度、当画廊で開いて下さった安野光雅先生。「何故こんなところに安野先生の作品があるの?」とよく不思議がられましたが、ただ、安野先生の人並みはずれた優しさから、というしかありません。(そのいきさつについては、追悼文集『絵の旅人 安野光雅』(2021年ブックグローブ社刊)に小文を書きましたので、機会があればご覧下さい)。
最後にお会いした2019年の7月までの間に先生からお預かりして展示した作品は、水彩やデッサン等の直筆だけで400点近く。それらは全国の御客様の許へ旅立ち、画廊に残ったのはわずか10数点にすぎません。今回は、その「託された絵の名残り」ともいうべき作品に、切絵と版画を加えて展示させていただきます。
他者には寛容で自己には厳しく、いつも優しく大らかな空気でまわりを包んで下さった安野光雅先生。その絵の中には、美だけでなく、歴史や風土への深い知識と人への愛、ユーモアといった要素がぎっしりと詰まっていて、見る程に新しい魅力が伝わってきます。
ささやかな展示ですが、安野先生を偲ぶ場となれば幸いに存じます。どうぞご高覧下さいませ。
ギャラリーヒルゲート
(1F・2F)第30回 折々の作家たち展
1F・2F【第30回 折々の作家たち展】
1月10日(祝・月)~1月23日(日) ※1/17(月)休廊
12:00~19:00(最終日~17:00)
‘93年以来恒例の当展は、現役作家の新作の他、物故作家となられた方の遺作や当画廊のコレクションをともに展示させていただくものです。皆様にも、懐かしい、あるいは新鮮に思える作品との出会いの場となれば幸いに存じます。
一昨年来世界を困難に陥れたコロナ禍はまだ終息に至りませんが、作家たちは制作をつづけ、文化の力を再認識させてくれました。平面・立体ともに多彩な先生方の御作品をなにとぞ御高覧いただきたく、御案内申し上げます。
ギャラリー・ヒルゲート
〈出展作家〉
赤松玉女 秋口悠子 麻田浩 安野光雅 池田良則 生駒泰充
石股昭 石母田ななみ 泉地靖雄 伊勢信子 一居孝明 一居弘美
市川曜子 井上隆雄 井上廣子 伊庭新太郎 今尾栄仁 岩井晴香
烏頭尾精 海野厚敬 榮永大治良 大森啓 奥田輝芳 甲斐扶佐義
貝原浩 勝山正則 加藤登紀子 門坂流 上岡真志 川上力三
貴志在介 岸雪絵 木代喜司 来野あぢさ 北村美佳 木下晋
木村克朗 木村隆 木村正恒 日下部直起 日下部雅生 栗本夏樹
黒川彰夫 黒崎彰 黒田暢 黒田冨紀子 小西煕 小林一彦
小林敬生 小山久美 近藤慧子 齋藤修 斎藤真成 齊藤博
坂爪厚生 佐久間嘉明 桜井貞夫 信ヶ原良和 澁谷和子 角りわ子
田島征三 田島征彦 田中忠雄 田中直子 谷なつ子 谷口淳一
千葉倫子 司修 鶴田憲次 中井英夫 長尾紀壽 長谷治郎
中林忠良 中原史雄 西久松友花 西久松吉雄 西久松綾 西山喬
野上徹 野見山暁治 橋本幸志 長谷川宏美 長谷川ゆか 八田哲
林康夫 平岡靖弘 蛭田均 蛭田美保子 廣田政生 福島菊次郎
冨士谷隆 藤平伸 古野恵美子 ベリーマキコ 本田希枝 馬越陽子
増田常徳 松生歩 松谷武判 馬淵哲 丸木位里 丸木スマ
丸木俊 丸山勉 三浦以左子 三浦景生 水上勉 三橋卓
宮村長 向坂典子 武蔵篤彦 村上泰造 村田好謙 村山明
森田康雄 森本勇 山河全 山崎脩 山根須磨子 山本桂右
山本俊夫 リチャード・スタイナー 若林亮 渡邉章雄 渡辺恂三
(奥庭空間)信ヶ原良和 彫刻展
2022年1月10日(月・祝)~6月19日(日)(月曜休廊)
奥庭空間【信ケ原良和 彫刻展】
イマジネーションを描く-フローティング
私は京都府の南東に位置する自然の豊かな所で創作活動し、暮らしています。そして十数年前から琵琶湖の傍で造形関連の仕事もしています。ですので、常に周りの山々の景色や雲の動きを見たり、川面の輝きに見入ったりしながら作品を作って来ました。思えば先人達も景色・情景からインスピレーションを得たりしながらイマジネーションを膨らませて、歌を詠み詩を書き絵を描いたりと創作活動の題材によく使っていました。私は金属と言う一見自然とは馴染みそうに無い素材を使って、太陽光の反射や風の流れを利用しながら、私なりの自然賛歌を絵本の挿絵的なファンタジーで表現しています。
今回のギャラリーヒルゲートの奥庭空間では、水・雲・生き物など自然界に対して私が持つイメージを抽象的フォルムに置き換えながら、金属による動きや浮遊感・周りの景色の映り込み等の要素を取り入れた作品を、「フローティング」をテーマに展示します。是非、奥庭空間での金属による彫刻の世界をご堪能ください。
信ケ原 良和
信ケ原 良和 Yoshikazu SHIGAHARA
1957 京都に生まれる
1978 京都精華短期大学立体造形科卒業(京都市岩倉)
1979 第4回京都美術展(京都府ギャラリー)
1982 個展(ギャラリー16 / 京都)
1988 個展(ギャラリー白 / 大阪)
1992 半田市野外彫刻展 <優秀賞>設置(愛知県半田市)
1994 第9回国民文化祭みえ(野外彫刻部門)<文部大臣奨励賞>設置(三重県大宮町)
1996 ‘96京都府美術工芸展<大賞・買い上げ賞>(京都文化博物館)
1999 第18回現代日本彫刻展(山口県宇部市)
1999 個展(ギャラリーはねうさぎ / 京都)
2001 第1回印旛村野外芸術展INいには野 設置(千葉県印旛村)
2002 第20回京都府文化賞(平成13年度)<奨励賞>(京都府)
2007 第22回国民文化祭とくしま2007 野外彫刻展<文部科学大臣賞>(徳島県徳島市)
2007 「2007メキシコ・日本 彫刻の友愛」展(メキシコ・メリダ)
2008 ハンガリー・日本交流展「Gスズキ企画」 (ハンガリー・タタ)
2013 日吉大社芸術祭 野外彫刻展(日吉大社境内/滋賀県坂本)
2015 日本芸術センター第5回彫刻コンクール<審査員特別賞>(東京芸術センター)
2017 日本芸術センター第6回彫刻コンクール(買い上げ)(東京芸術センター)
2018 第32回 京都芸術祭 美術部門(平安神宮 額殿/京都)
2018 「日本と台湾の美術交流展」(二条城二之丸御殿御清所/京都)
2019 京都王藝祭美術館に「落葉の雲と雨」設置(中京区西ノ京/京都)
2021 個展「梅雨のお庭と彫刻を愛でる」(The Terminal Kyoto/京都)
2021 第35回 京都芸術祭 美術部門(京都市美術館別館/京都)
京都彫刻家協会・京都文化芸術会議・日本美術家連盟・日本建築美術工芸協会に所属
「心に響く小品展」や彫刻家のグループ展などでいつも小品を展示していただいている信ヶ原良和先生の大作を初めて展示して頂くこととなりました。奥庭の草木の茂る空間の中で光を受け風に揺れ動く作品の数々をお楽しみ下さいませ。 ギャラリーヒルゲート