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(1F)木下晋展(鉛筆画)/(2F)溝口佐知子展 sachiko mizoguchi carnival(コラージュ)
1F【木下晋 展】(鉛筆画)
2022年1月25日(火)~2月6日(日) ※1/31(月)休廊
12:00~19:00(最終日~17:00)
木下 晋(Susumu KINOSHITA)
1947年 5人姉弟の次男として富山県に生まれる。3歳の時、家族の出火により他家にも類焼。富山市郊外にある呉羽山麓の竹林管理小屋へ移り住む。貧困に苦しむなか弟・三郎が餓死同然で死亡、母と兄は火事の後約 10年 間家出を繰り返し一家はほぼ離散状態となる。
1961年 14歳 富山市立西部中学2年の時、美術科のS教諭の紹介で富山大学教育学部で教鞭をとっていた彫刻家・大瀧直平による市民開放の研究室に入り、彫刻の指導をうける。
1963年 16歳 2月、とび職であった父が職場での事故で死亡。
4月、富山県立婦負農業高校(現・富山西高校)へ進学。昼は学校へ通い、夜は富山大学の大瀧研究室で彫刻の勉強を続ける。大瀧直平の紹介で木内 克から指導を受ける。
自宅では彫刻の制作が困難なため、絵画の制作を開始する。クレヨンを油彩代わりに使用して第一作《起つ》を描く。木内克の紹介で、洋画家・麻生三郎の指導を受けるため作品とともに上京し、麻生からのアドバイスを受けてその帰路に《起つ》を自由美術協会に出品、入選を果たす。
1964年 17歳 経済的な理由から高校2年で中退し、T宣伝社(看板製作)に住み込みで働き始める。
1965年 18歳 自由美術協会展に油彩画《カルタとり》が入選。
1967年 20歳 第3回主体美術協会展(東京都美術館)
1969年 22歳 8月、村松画廊での初個展で、評論家・瀧口修造と出会う。
1970年 23歳 この年、後に妻となる君子と知り合う。周囲の反対を押し切り、9月富山を離れ新潟に転居(~77年)。
1971年 24歳 富山から母を呼び寄せ3人の暮らしが始まる。日中はパン屋で働き、夜は妻をモデルに妊婦シリーズを描く。長女・麗子誕生。
1972年 25歳 櫟画廊の個展を訪れた麻生三郎から現代画廊主・洲之内徹を紹介される。
1973年 26歳 7月、初めての渡欧。約1ヶ月をかけてヨーロッパの美術館を巡り、レンブラント、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチの作品に深い感銘を受ける。
1975年 28歳 木下晋油絵展(現代画廊・東京)(’77・’79・’81・’83・’85)
1977年 30歳 新潟から東京へ移転する。
1980年 33歳 このころから手帳への記録を始める。
1981年 34歳 4月、油彩画作品を売り込みにニューヨークの画廊をまわるがうまくいかず、失意のうちに帰国。帰国後すぐに鉛筆を用いた作品に取りかかる。
5月、現代画廊の洲之内徹の計らいで新潟県出湯温泉の宿「石水亭」に招待される。その地において当時無形文化財の瞽女・小林ハルの公演を始めて聞き、衝撃を受ける。
1983年 36歳 2月14日、小林ハルをモデルに制作を開始する。
現代のリアリズム展(埼玉県立近代美術館)
1985年 38歳 ニューヨークで荒川修作を訪ねる。荒川のアドバイスにより、意識的に母をモデルにした作品を描き始める。
1986年 39歳 1月、母が散歩中の事故により死亡。
春、注連寺天井画のプロジェクトチーム ( 「七五三掛会」 )発足。
1987年 40歳 10月、現代画廊主・洲之内徹死亡。
1989年 42歳 9-11月、注連寺に籠もり、天井画本図を描き上げる。
洲之内コレクション展 気まぐれ美術館(宮城県美術館)
洲之内コレクション展(萬鉄五郎記念美術館・岩手)
1992年 45歳 9月、念願であったニューヨークでの個展が実現する。
1995年 48歳 戦後文化の軌跡1945-1995(目黒区美術館・東京、広島現 代美術館、兵庫県立近代美術館、福岡県立美術館)
1997年 50歳 木下晋 えんぴつの世界 1981~1997(池田20世紀美術 ・静岡)気まぐれ美術館̶―洲之内徹と日本の近代美術(目黒区美術館・東京、他)
1999年 52歳 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻非常勤講師(造形基 礎)となる(~2008)。
2001年 54歳 武蔵野美術大学造形学部油絵学科非常勤講師となる。
スタンダード展(直島コンテンボラリーアートミュージアム・香川)
2002年 55歳 木下晋 鉛筆画の世界展(信濃デッサン館槐多庵・長野)
2003年 56歳 木下晋 鉛筆の世界展(佐喜眞美術館・沖縄)
2004年 57歳 六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004(森美術館・ 東京)
2005年 58歳 4月 瞽女・小林ハル死去。 この年の秋、偶然の機会から元
ハンセン病の詩人桜井哲夫を訪ね、その後モデルを依頼する。
2009年 62歳 金沢美術工芸大学大学院博士課程専任教授となる。
美大アートワークス2009展(金沢21世紀美術館市民ギャラリーB・石川)
2010年 63歳 瀬戸内国際芸術祭2010(豊島・香川)
2011年 64歳 3月に起こった東日本大震災の被害を目の当たりにし、新た に「合掌図」の制作を行う。
12月、詩人元ハンセン病患者の桜井哲夫死去。
2012年 65歳 木下晋展 祈りの心(平塚市美術館・神奈川、砺波市美術館・ 富山、足利市立美術館・栃木)巡回
2016年 69歳 1月~3月、「エッケ・ホモ̶―現代の人間像を見よ̶―」(国立 国際美術館・大阪)
3月~6月、曹洞宗松久寺(鎌倉市)天井画「無」制作
2017年 70歳 1月~3月、「猫まみれ展」(川越市美術館)
4月~6月、「リアルのゆくえ展」(平塚市美術館 他三館巡回)
6月~8月、「ニッポンの写実そっくりの魔力展」(北海道立函館市美術館 他三館巡回)
8月~11月、「ヨコハマトリエンナーレ2017展」(横浜市美術館 日本代表作家)
7月~8月、「戦後日本文化発展の光と影展」(リアスアーク美術館(宮城県 気仙沼市))
2018年 71歳 2017年~2018年4月、「最後の最期展」(久万町美術館(愛媛県久万高原町))
7月~10月、「所蔵展」(国立国際美術館)
2019年 72歳 12月、『いのちを刻む―鉛筆画の鬼才、木下晋 自伝』編著者: 城島徹が藤原書店より刊行。
2021年 74歳 10月~、「上田薫とリアルな絵画展」(茨城県近代美術館)
2006年以来5度目の木下晋展を企画致しました。今展では、木下先生は主に妻君子さんをモデルにした作品を描いて下さっています。23歳の頃に周囲の反対を押し切って結婚。以来苦楽を共に生き抜いてこられた君子さんが病に倒れられてからは、木下先生の介護しつつ描く生活が続いています。見つめる目と、覚悟をもって見つめ返す目。いつも木下先生の作品に感じられる対象との緊張関係とともに、そこには深い愛が刻まれているように感じられます。
10Hから10Bの22段階の濃淡を駆使して描かれるモノクロームの奥深い世界をどうぞお楽しみ下さいませ。
ギャラリーヒルゲート