fc2ブログ

2022-08

Latest Entries

シリーズ第5回 池袋モンパルナスの青春-生誕110年丸木俊を中心に-

1F・2F【シリーズ第5回 池袋モンパルナスの青春-生誕110年丸木俊を中心に-】
2022年7月26日(火)~7月31日(日)
12:00~19:00(最終日~17:00)
22<シリーズ第5回>池袋モンパルナスの青春-生誕110年丸木俊を中心に- 改訂版 表22<シリーズ第5回>池袋モンパルナスの青春-生誕110年丸木俊を中心に- 改訂版 裏

〈出展作家〉
麻生 三郎  大野五郎  小熊 秀雄  田中 佐一郎
寺田 政明  野見山 暁治  松下明治  丸木位里
丸木 俊  山本 恪二  吉井 忠

人見ジュン子さん(ギャラリー・ヒルゲート)は時間が経つと丸木位里・丸木俊の展覧会をしないではいられない気持ちになるそうである。二人の作品を見たくなる。それは人見さんの原点、ギャラリーを始めた頃の初心を思い起こさせる。この話を私は幾度となく聞いた。そのたびに人見さんの熱意を感じる。そしてその熱に位里も俊もおおいに意気に感じたのだと思う。そして、展覧会は始まった。二人はお客様との会話を楽しんだ。  
                           丸木ひさ子


 2022年は、丸木俊先生の生誕110年に当たります。1989年から毎年開催してきた 丸木位里・俊 展の作品選びにアトリエに伺った折、お二人から宇佐美承著『池袋モンパルナス』を紹介していただいたのがきっかけで、2003年に私どもでのシリーズ第1回「池袋モンパルナスとその周辺」を開催することになりました。戦争へと傾斜していく時代の中で、若い芸術家たちが多く住み「池袋モンパルナス」と呼ばれたアトリエ村は、そこだけは自由な精神と芸術創造の熱気に溢れたつかの間の空間であったのでしょう。
 その時代の困難と葛藤は、戦後、GHQの抑制の中で1950年から「原爆の図」を発表し始めた丸木夫妻の原点を形作ったのかもしれません。同じ時空間を共有した作家たちの作品とともに丸木俊先生の’50年代から’90年代の作品を展示致します。
 どうぞ御高覧下さいませ。   
                       ギャラリーヒルゲート


麻生三郎 あそう・さぶろう(1913-2000)
1913年、東京市京橋区に生まれる。1930年に太平洋美術学校選科に入学。同校では松本竣介や寺田政明らが学んでいた。1936年に寺田政明らとエコール・ド・東京を結成する。豊島区長崎にアトリエを構え、1939年には福沢一郎、北脇昇、寺田政明、丸木位里らと美術文化協会を結成。さらに1943年には寺田政明、松本竣介、靉光、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男と「新人画会」を結成。戦況が厳しくなり、軍部による抑圧の中で作品を発表し続けた。1947年より、新人画会の同人とともに自由美術家協会に参加。1952年より1981年まで武蔵野美術学校にて教鞭をとり、後進の育成にあたった。1959年、第5回日本国際美術展で優秀賞。1963年4月、芸術選奨文部大臣賞。

大野五郎 おおの・ごろう(1910-2006)
1910年、東京に生まれる。1926年、斉藤與里の紹介で藤島武二が指導する川端画学校に入学する。1928年、第3回一九三〇年協会展に初入選。1929年、同協会の絵画研究所に入り、里見勝蔵に師事し、ゴッホ、フォーヴィスムの影響を深く受ける。1930年に第17回二科展に入選。1931年、第1回独立美術協会展に入選、O氏賞を受賞した。1943年に井上長三郎、寺田政明、靉光、鶴岡政男、糸園和三郎、松本竣介、麻生三郎と新人画会を結成。1947年、独立美術協会を脱退して自由美術家協会に参加。1964年には、同協会を離れ、寺田政明、森芳雄、吉井忠とともに主体美術協会を結成した。没後の同年4月に、「大野五郎―画業八〇年の軌跡」が、八王子市夢美術館にて開催。

小熊秀雄 おぐま・ひでお(1901-1940) 
1901年、北海道小樽市生まれ。10代半ばで様々な雑役労働に従事。21歳 で旭川新聞社の見習い記者となり文芸欄も担当、挿絵も描く。この頃より童話や詩を次々に発表する。1928年に上京し、転々としながらも池袋モンパルナスに住み続ける。1931年プロレタリア詩人会に入会し、活発に活動する。この頃より弾圧が厳しくなり2度にわたり検挙される。1934年頃、寺田政明と知り合い、靉光、麻生三郎、大野五郎、松本竣介ら画家たちとの交流が広がり、 再び絵を描くようになる。1938年、『サンデー毎日』に「池袋モンパルナス」を発表。1940年10月20日、肺結核のため39歳で死去。

田中佐一郎 たなか・さいちろう(1900-1967) 
1900年、京都市に生まれる。1922年、京都市立絵画専門学校予科2年に編入する。1925年、同校を卒業し、上京。安井會太郎に師事する。1926年、第7回帝展入選。1928年、1930年協会研究所で指導を受け、翌年から同協会展に出品する。1931年、前年結成に参加した独立美術協会の第1回展で独立賞を受賞。1932年渡仏し、翌年帰国。1934年独立美術協会会員となる。 1938年から翌年にかけて、従軍画家として中支へ。1940年以降も、中国、フィリピン、ビルマなどへ赴き、戦争記録画を描く。1947年、池袋美術研究所を開設、一年余り指導にあたる。

寺田政明 てらだ・まさあき (1912-1989) 
1912年、福岡県に生まれる。1928年に上京し、1930年、太平洋美術学校に入学する。学校近くの茶房りりおむに麻生三郎や松本竣介らと集い靉光、長谷川利行らとも知り合う。1932年、独立美術協会第2回展に初入選する。1933年、豊島区長崎町へ転居し、詩人の小熊秀雄、山之口獏らと交流する。1936年麻生、吉井忠らとエコール・ド・東京を結成、さらに池袋美術家クラブを設立する。1938年糸園和三郎、北脇昇らと創紀美術協会を結成。1939年、美術文化協会に参加する。1943年、新人画会を結成し、第3回展まで全て出品。1944年には志願して従軍画家となる。1949年、自由美術家協会に参加する。以後、同会はじめ、現代日本美術展、日本国際美術展などに出品する。1963年、6か月間渡欧する。1964年、自由美術家協会を退会し、大野五郎らと主体美術協会結成。

野見山暁治 のみやま・ぎょうじ(1920-)
1920年福岡県に生まれる。1939年、東京美術学校本科入学、池袋モンパルナスに住む。1943年、戦争のため繰り上げ卒業、陸軍二等兵として満州に送られるが、1944年、病気のため現役免除。1948年、自由美術家協会賞受賞、会員になる(’64年退会)。1952年フランス政府私費留学生として渡仏。1958年、安井賞受賞。2000年文化功労者。2005年、戦死した画学生たちの遺作を集めた美術館「無言館」の活動で菊池寛賞受賞。2014年、文化勲章受章。現在も活発な創作活動を続けている。

松下明治 まつした・めいじ(1912-2001) 
1912年、広島県に生まれ、京都で育つ。1932年、東京美術学校に入学し、池袋モンパルナスの住人となる。当時から1939年の研究科終了後も藤田嗣治に師事しつづけ、二科展に出品。この間二度、南方へ海洋絵画研究のため派遣され、紀元2600年奉祝展に「母子」を依頼出品。1944年、京都に戻り堀川女学校、後に日吉ヶ丘高校美術コースで教える一方、1953年~54年、絵画研修のため渡仏。帰国後、一陽会会員となり。 1981年汎具象美術協会を設立。

丸木位里 まるき・いり(1901-1995) 
1901年、広島県生まれ。高等小学校卒業後、大阪で絵を学ぶ。1923年、上京、関東大震災により帰郷。この頃、広島でのプロレタリア美術運動に関わる。1934年に再び上京、1936年の第1回芸州美術協会展では日本画家船田玉樹の他、靉光と共に出品。1938年、歴程美術協会第一回展出品。1939年、銀座で丸木位里、船田玉樹二人展開催。1940年、美術文化協会第1回展出品。1941年、丸木俊(当時は赤松姓)と結婚、豊島区長崎町のアトリエに住む。1945年原爆投下直後の広島の実家に約一ヶ月滞在。1947年、第一回前衛美術展、第1回日本アンデパンダン展に出品。1950年、俊と共に《原爆の図》を発表。国内巡回展。1966年、埼玉県東松山市に移住。翌年、原爆の図丸木美術館開館。

丸木俊 まるき・とし(1912-2000)
1912年、北海道に赤松俊として生まれる。1929年上京し、女子美術専門学校で洋画を学ぶ。 1933年、同校卒業、千葉県で小学校の代用教員となる。二科展に出品する。1937年、モスクワへ赴任する外交官一家の家庭教師として一年間滞在。翌年帰国し、豊島区長崎町のアトリエに入居。1940年、ミクロネシア群島に半年滞在、南洋の個展開催(銀座・紀伊国屋画廊)。1941年、再び家庭教師として半年モスクワに滞在。同年、丸木位里と結婚。美術文化協会出品。1945年8月、位里とともに原爆投下直後の広島へ。1948年、女流画家協会に参加。第1回前衛美術展出品。1950年、位里とともに《原爆の図》を発表。1940年代より児童書の絵も多く手がけた。1967年、埼玉県松山市に丸木美術館開館。

山本恪二 やまもと・かくじ(1915-2000) 
1915年、滋賀県に生まれる。東京美術学校彫刻科学生の頃、唯物論研究の読書会に参加して、佐藤忠良等とともに逮捕され、退学、後に復学、三年遅れで卒業。出所後、すずめヶ丘にいた先輩、柳原義達に誘われ新制作派協会展に出品。戦後の1952年会員となり、1958年フランス留学。京都市立芸大の教授として後進の指導にあたった。

吉井忠 よしい ただし(1908-1999) 
1908年、福島市に生まれる。1926年、上京し、太平洋画会研究所に通う。1928年第9回帝展に初入選、1936年独立美術協会第6回展に入選。同年10月、渡欧。翌年8月帰国、豊島区長崎町に住み始める。翌年、美術文化協会の結成に参加し、以後、1946年まで同展に出品する。戦後は井上、佐田勝、丸木位里らとともに前衛美術会を結成する。また、自由美術家協会展や日本アンデパンダン展などに出品。1964年には自由美術家協会を退会し、寺田、大野五郎らと主体美術協会を結成。


夜話市民講座Bコース
講師 岡村 幸宣 (原爆の図丸木美術館学芸員)
「「原爆の図」前史 ―赤松俊子(丸木俊)と丸木位里の絵画の出会い」
7月29日(金)  18:30~20:00
ギャラリー1F 参加費1,000円(学生500円)
定員30名(要予約)

DSC_0299_20220725221344b8f.jpgDSC_0300_2022072522134607f.jpgDSC_0301_20220725221347abf.jpgDSC_0302.jpgDSC_0303.jpgDSC_0304.jpg

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

ヒルゲート

Author:ヒルゲート
✿ギャラリーヒルゲートホームページへようこそ✿

最新の展覧会情報をご覧になりたい方は、カテゴリ【最新の展覧会のお知らせ】を選択してください。

 

カテゴリ

最新記事

月別アーカイブ

最新コメント

 

検索フォーム

 

 

リンク