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司修展ー絵本『まちんと』原画他
1F・2F【司修展-絵本『まちんと』(文・松谷みよ子/偕成社刊)原画 他】
9月6日(火)~9月18日(日) 〈9/12(月)休廊〉
12:00~19:00(最終日~17:00)
松谷みよ子さん
いま どこですか。
坪田譲治さんとお会いして、笑いながら、
つもりつもった話をされているのでしょうか。
民話採訪の旅や、黒川能を観る旅や、黒姫の山小屋や、広島への取材旅行も、楽しさといっしょに、戦争のこと、原爆のこと、命のことなど考える旅でした。アウシュヴィッツへは、ぼく一人で取材しましたが、『私のアンネフランク』のゲラを読みながら、戦争の狂気、残酷、悲惨などを、全身で感じてまいりました。
松谷みよ子さん
ヒロシマの
ナガサキの
オキナワの
悲しみを、
苦しみを、
命を、物語り、新しい人たちへ、新しく生きる道を、考える道を、示してくださった。
手をにぎりあうように、水を飲むように、歌をうたうように。
まちんと
すこし むかし
ちいさな子が
もうじき 三つになる子が
広島に すんでいて
昭和二十年八月六日の朝
げんしばくだんに
おうたげな
たった いっぱつの
ばくだんだったけれど
いっしゅんのうちに
まちは もえあがり
いっしゅんのうちに
まちは くずれおち
人も ほのおともえ
いきのこった 人びとは
やけただれて
さまよった
黒い雨は
そのうえに
ふりそそぎ ふりそそぎ
その子も
くるしみながら ねかされて
トマトを 口に いれてやると
まちんと まちんと
といって ほしがった
ちょっとまってねえ
トマトを さがしてくるからねえ
その子の おかあさんは
そういって さがしにでたけれど
くずれ やけおちたまちに
トマトはなかった
たった ひとつでいいから
トマトを………トマトを………
ようやく ひとつみつけて
もどったとき
その子は もう死んでいた
まちんと まちんとと
いいなが
死んでいったげな
その子は 死んで
鳥になったげな
そうして いまがいまも
まちんと まちんとと
なきながら
とんでいるのだと
ほら そこに………
いまも………
絵本ができてから、ぼくは広島へ何度も行きました。爆心地近くの、本川小学校は、約四百人の小学生が爆死しています。その原爆資料館で、低学年の副読本として『まちんと』を使っていると、本川小の先生から聞きました。子どもたちの感想文も読みました。松谷さんが伝えたかったことが、幼い子らに伝わっていたのです。
『まちんと』は、松谷さんが、伝説を探る旅で聞いた、現代の民話でした。死んだ子の魂が、鳥になるという、昔話の型をもっていたといいます。
ほら そこに………
いまも………
と呼びかけた松谷みよ子さんも、
鳥になって、まちんと まちんと
と啼きながら飛んでいらっしゃるのでしょう。
ですから、
さようなら とはいえません。
司 修
(2015年4月4日
「松谷みよ子お別れの会」での弔辞)
司 修(TSUKASA Osamu)
1936 群馬県前橋市生まれ
中学卒業後、独学で絵を描き始める
自由美術協会会員を経て、‘64年主体美術協会の創立に参加
(‘90年より無所属)
1976 『金子光晴全集』の装幀により講談社出版文化賞
1978 『はなのゆびわ』により小学館絵画賞
1986 池田20世紀美術館で〈司修の世界〉展
1989 「バー螺旋のホステス笑子の周辺」が芥川賞候補
1993 「犬」(『影について』所収)で川端康成文学賞
日本橋三越他で朝日新聞社主催「司修挿絵展-小川国夫『悲しみの港』」
同年、第36回安井賞審査員
2007 『ブロンズの地中海』で毎日芸術賞
2008 「両洋の眼展」で河北倫明賞
2011 群馬県立近代美術館で「司修のえものがたり-絵本原画の世界」開催
『本の魔法』で第38回大佛次郎賞
2014 3月『絵本銀河鉄道の夜』(偕成社)刊
6月『幽霊さん』(ぷねうま舎)刊
2015 12月 『Ōe-60年代の青春』(白水社) 刊
2016 第26回イーハトーブ賞受賞(花巻市)
2017 岩波書店『図書』表紙及びエッセイ連載開始
(2021年12月まで毎月)
2020 7月 『空白の絵本-語り部の少年たち-』(鳥影社) 刊
『戦争と美術』『語る絵』『絵本の魔法』『孫文の机』『戦争と美術と人間』等の評論や小説、『まちんと』『河原にできた中世の町』『雨ニモマケズ』他絵本、 『風船乗りの夢』『壊す人からの指令』他の画文集等、著書多数。