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12月20日(火)~12月25日(日)
1F【丸山勉 日本画展-玉響-/Maruyama Tsutomu Solo Exhibition ―Tamayura― (Japanese painting)】
丸山 勉 Maruyama Tsutomu
2022年 「第2回 現在日本画研究会」 京都市京セラ美術館
「第2回 現在日本画研究会 東京選抜展」 UNPEL GALLERY(東京)
(’16「第1回東京展」東京都美術館 ’17「第1回京都展」白沙村荘橋本関雪記念館)
「第4回 現代の日本画―世代をつなぐー」ギャラリーヒルゲート(京都)(同’18、’20)
「第5回 七艘展」ギャラリーCreate洛(京都)(’18~毎年)
長岡天満宮 御朱印画 制作 (京都)
2020年 「-風光の質量―丸山勉日本画展」 ギャラリーヒルゲート(京都)
2019年 「―絵の中の風景― 丸山勉日本画展」 ギャラリーCreate洛(京都)
十二月大歌舞伎 表紙 (東京 歌舞伎座)
2018年 「京都 日本画新展in二条城~100人の画家・嵯峨野を旅して~」(京都)
(JR西日本 嵯峨野線 嵯峨嵐山駅ポスター)
2017年 日展 会員となる
「-胸中胸壑―丸山勉日本画展」 ギャラリーCreate洛(京都)
2016年 日展 審査員
2015年 「第二回 続 京都 日本画新展」大賞
「琳派400年記念 京に生きる 琳派の美意識」(京都府京都文化博物館、日本橋高島屋)
「第6回東山魁夷記念 日経日本画大賞展」入選 上野の森美術館(東京)
2014年 「都美セレクション新鋭美術家2014」 東京都美術館
2013年 「ベストセレクション 美術 2013」 東京都美術館
2012年 「日展」 特選(同’09、初入選1991)
2011年 「日本画 きのう・京・あす 展」 京都府京都文化博物館
2010年 「京都日本画家協会選抜展」 毎日新聞社賞(’06朝日新聞社賞)
2008年 「日春展」 日春賞(奨励賞’06、’10、初入選1992)
2006年 「全関西展」 大阪市立美術館 第一席(同’05、読売新聞大阪本社賞’08)
2003年 「日本画 京の今日 展」 京都府京都文化博物館
2001年 「松柏美術館花鳥画展」 優秀賞
1994年 京都教育大学大学院修了
1992年 「青垣2001年日本画展」 入選(兵庫県買上げ)
1969年 兵庫県神戸市に生まれる
その他個展・グループ展多数
現在 日展会員、新日春展会員、京都日本画家協会理事、グループ玄代表、現在日本画研究会
【 パブリックコレクション 】
兵庫県、大阪府
2F【水野朝展 ―これがわたくし・朝―】
水野朝―童心の絵心をつらぬく(抜粋) 中山真一
無邪気な童心にたちまち帰らせてくれるかのような楽しい画面だ。
(中略)水野朝は、1945年(昭和20年)に名古屋市で生まれた。小児マヒで5歳まではひとりで立つことができなかった。ただ、画才は早くから発揮する。(中略)
中学2年生の春、友人のさそいでたまたま訪れた日本画教室に、講師の友人であった日本画家・中村正義が偶然あらわれる。水野の描くところをじっと見ていた。(中略)後日、ひとを介してアトリエに来るようにとの伝言がくる。当時の中村は日展(日本最大の公募美術展)の寵児(ちょうじ)にして反逆児というスター的な存在。行かないという選択肢はなかった。
アトリエに母と行ってみると、中村は「見るな、見せるな、聞くな」という驚くべき教えを簡潔に述べる。ひとの絵を見なくてよい、自分の絵をひとに見せる必要もない、ひとのする絵の話は聞かなくてよい、と真顔であった。のちに高校に進学するな、結婚もするなとも。水野は面食らいながらも、やがてその言に従おうとしていく。月1回、スケッチブックを持って市内にある中村のアトリエにかよった。(中略)弟子をとらないはずの中村に、唯一の弟子が誕生することとなる。(中略)それにしても高校くらいは。とくに両親がそう思い、しかもいじめにあうことがないようにとの配慮から、母親が家庭科教員を務める公立高校にかようこととする。(中略)
1962年(昭和37年)、毎日新聞社主催の第5回現代日本美術展に《花と花よめちゃん》が入選する。全国の気鋭の画家たちがしのぎをけずる同展に、あっさりと高校2年生が入選するのであった。地元でおおきなニュースとなっていたはずだ。はずだ、というのは本人が記事を見ていないから。当然、スクラップブックもつくらない。中村の教え「聞くな」を肩ひじはらずに実践するのであった。しかも中村は、もう公募展には出品するなという。以後それも守った。(中略)
1977(昭和52年)、水野が32歳のおり中村が亡くなる。それでも、いつまでも師の教えは自然体で守りとおしてきた。ひとり絵を描くたのしみ。ただそれだけでよかった。75歳となった今でも中学時代と画風はあまりかわっていない。中村が水野の絵にみてとった新鮮さも、まったく変わるところがない。(後略)
『日本経済新聞』デジタル版、連載「青春のギャラリー」(2020年12月11日)に掲載された文より抜粋
水野 朝 略歴 MIZUNO Asa
1945/名古屋市生。59/中村正義に師事。68~73/個展(日本画廊〈東京〉)。75~79/東京展(東京都美術館)。81/個展(マエダ画廊〈名古屋〉)。82/個展「水野朝―素朴で原始的なフォーブの華」(羽黒洞企画〈東京〉)。96/個展「水野朝―ヒマラヤを画く―」(ギャラリーHAM〈名古屋〉)。97/詩集『露を踏んでいく足元』刊行(以後、計11冊の詩集を刊行)。05/個展「水野朝―描き続けるということ―」(羽黒洞〈東京〉)。13/自選作品集『これがわたくし・朝』刊行。17/没後40年記念 中村正義をめぐる画家たち(名古屋市美術館)。17・21/個展(名古屋画廊)。